暇ズセオリー

暇人が100マイル走るイベントを開催する話 #知らんけど

【暇'sセオリー19】なぜ児童養護施設なのか

昨日5施設目の児童自立支援施設さんにドネーションをお届けしてきました。

過去にお届けした施設さんからお礼状が届いたり、施設さんが施設さんを繋いでくださって新たなお届け先が生まれたりと予想外の嬉しい展開が生まれます。

ドネーションはLIVEですね。

昨日お届けした施設さんは、我々がサンダルで走ることに驚きと興味をお持ちになり、再来週にワラーチワークショップを開催することになりました。

この辺りの経緯はまた改めて書くとして…

今回は「なぜ児童養護施設なのか」について書きたいと思います。

 

勝手T.D.Tが開催できることが決まった当初は、開催できることの嬉しさと裏腹に、大会本番のことばかり考えていました。

この時は大会本番=100マイルを走るという認識でした。

「無事に完走できるだろうか」「我々3人以外にもエントリーしてくれる人はいるだろうか」など、大会本番の運営のことばかり考えていました。

もちろんトモさんの掲げるT.D.Tイズムには強い共感や憧れを持っていましたが、どちらかというと「影響力のあるトモさん」の企画に乗らせてもらうことを無意識に考えていました。

クリーンアップは数回やって、ドネーションも「良い趣旨だな!さすがトモさん!」と思う程度で、「トモさんに渡して届けてもらうのが安心!」みたいな依存?状態でした。

 

そんな折にトモさんから

「自分たちでまず考えて、誰のために寄付したいか、何でそもそもやりたいのか、を心に決めて届けた方が良いよ。きっとそれをやることで、そもそも自分たちが何で勝手T.D.Tをやろうかと思ったヒントを、または見つめ直せるはず。そのためにまず俺からは寄付しないよ」

と連絡をいただきました。

 

これが大きな転機になりましたね。

勝手T.D.T本部の3人は雷に打たれたような衝撃を受け、あーでもない、こーでもないと考え始めました。

そして、もう一度原点である「T.D.Tイズム」に戻り、「T.D.Tをやる3つの理由」をよくよく読み返しました。

 

T.D.Tイズム、3つの理由はこちらのエントリーに書いてます

 

boredseven.hatenablog.com

 

これを体現せずに何が勝手T.D.Tかと。

これを体現して「最高か!」への階段を登り始めたいと。

 

腹を括り、夢を描き…その後の展開は皆さんご存知の通り。

多くの仲間が一緒にイズムを体現してくれました。今もし続けてくれています。

 

 

今回は「なぜ児童養護施設なのか」を書きたいので、

「#3 自分達より苦しんでいる仲間たちをサポートしたい。ドネーションをする」

に触れます。

 

今回この記事を書いている、もりけんは実は社会福祉士という国家資格を持っています(活用したことはあまりないけど)。

私が幼少の頃(30年以上前)、近所や小学校のクラスメイトに障害児が多くいました。

自然と彼らと接することに何のハードルもなかったので、毎日のように彼らの所に遊びに行くような小学生でした。

親御さんがとても喜んでくれる姿に喜びと、本人や家族は結構困難な状況にいるのかもな、自分でも何か喜んでもらえることがあるのだなというようなことを薄々感じていた記憶があります。

 

そのような幼少期の原体験があり、名門w中学校に進学します。

そこは男子校で、入学して半年もしない頃に、日常生活で会話する異性が母親・妹・保健室の先生くらいしかいない環境に違和感を持ち始めます。

もう学校行きたくないモードに突入。

映画館が学校になりました。

中高一貫なので高校受験がないのを良いことに、あまり学校には行かず、部活と映画館が中心の中学生活を送りました。

高校生活も似たようなもの、むしろ拍車がかかり、あまり学校に行かず映画館、部活、時々ボランティアみたいな生活を送っていました。

身内に芸能人が結構いたこともあり、学校を辞めて映画関係者になりたいと頻繁に言い出して親を困らせていました。

見かねた親が、高校2年の時に、ハリウッド近くに住む友人の家に行かせてくれました。全く映画と関係ない人たちだったので、現実を知らせようと思ったのか、気分転換をさせてくれたのか、今となっては記憶が曖昧ですが、ここで衝撃の出会いがあり、その後の道を決めたのだと思います。その時の経験が今に繋がっていると今確信しています。

友人の家では、皆さん仕事をしていて日中することがあまりなかったので、隣の家に遊びに行っていました。

何とその家に重度の障害児がいて(ジェシカという女の子)、運命の出会いを果たしたわけです。

ジェシカは言葉をほとんど発することができませんでした。

私は当時英語はほとんど喋れませんでした。

なのに超仲良しになるという奇跡。

ジェシカのお母さん(シャンドラという超絶綺麗な人)は大喜びで

ジェシカはあなたのことが大好きと言っている」とか喋れないのにかなりデフォルメした通訳をしてくれるんですよね。

翌日行くと、手を動かすのも不自由なジェシカが、お世辞にも絵とは言えないような落書きを書いていて、シャンドラが「これはあなたとジェシカの絵よ」とか

ジェシカがI Love You」って書いてるのよとかもう映画より素敵なストーリーを毎日提供してくれたんですよね。

大きな勘違いもありながら、これで人生が決まった気がします。

英語も大して話せない、障害者と接する専門的な知識もないのにこんなに喜んでもらえるのか!じゃあ英語も知識も身につけたらスゲーことになっちゃんじゃない?と思ったことを昨日のように覚えています。

 

夏休み後、日本に帰ってきて、進路指導っていうのがあったんですよね。

名門なんでwww

当初は「ミック・ジャガーかプリンスになりたい」と言って、進路指導の担当教官にボコボコに殴られたり(今だったら体罰で訴えてやるw)しましたが、心を入れ替えて

「先生よお(スクールウォーズの大木さんの口調ね)、福祉の道に進みたい。子供・障害児の役に立てるような人間になりたい」と勇気を出して告白したんですよね。

すると先生も親身になって色々相談に乗ってくれたりして、今はたくさんありますが、当時は社会福祉を学べる所なんて限られていたので、進学先を色々探してくれたのです。

映画館生活(洋画専門)とシャンドラのおかげで、英語の成績が悪くなかった私は、猛勉強の末、浪人して、名門大学wの社会福祉学科に進学することになりました。

今考えてみてもドラマチックで面白いなーと思います。

すみません、完全に自己満の陶酔記事になってきました。書いてて自分で面白いから勝手に進めますwww

 

大学に進学したら、もう児童福祉・障害者福祉の道に進むんだ!と意気揚々と学校に行きましたが、都心だし誘惑多すぎるんですよね。

勉強なんてほとんどしなくなるという…

一応名門wなんで、周りは優秀な人ばかり。落ちこぼれるまではサブ3ランナーよりペースが早かったですね。

そんなわけで、成績が悪く、児童福祉・障害者福祉のゼミには入ることができず、医療ソーシャルワークのゼミに滑り込みました。

まあ学校の授業は実習(年200日くらいあったんです)さえできれば良いと思ってたくらいなので、医療ソーシャルワークのゼミにいながら、障害者施設とか児童擁護施設で実習をずーっとしていました。

実習期間が終わっても、ボランティアという体で施設に遊びに行っていました。

特に児童養護施設での実習やボランティアは楽しかった反面多くの衝撃を受けました。

児童養護施設は幼児から高校生くらいまでの児童が生活をしています。

家庭で生活するのが難しい、好ましくない児童が入所しています。

経済的な理由や家族構成的な理由もありますが、虐待によって家庭に住めないという理由が当時から最大の理由であったことに大きな衝撃を受けたことを今も覚えています。

彼らの多くはジェシカやシャンドラたちに会うことが難しいのかも…なんかごめんなさいと思ったことをよく覚えています。

 

実習やボランティアでは、児童と一緒に走ったりサッカーをしたりと、特に体を動かす場面での関わりが多かったです。まあそれくらいしかできなかったので。

児童養護施設から学校に通い、学校で陸上部などの運動部に所属している児童が結構いました。

一緒に体を動かすばかりの関わりの中に、色々な複雑な事情や感情があることをずいぶん垣間見ることができました。

それに対して「専門的に」「知識をフル活用して」関わり、サポートすることができないことに後ろめたさも感じていました。

今考えれば、もともと落ちこぼれなので、そんなことできるわけないんですけどねw

できたところで、それが児童にとって良いこととも限らないですしね。

 

そんなこんなで、限界を感じていたこともあり、そもそも医療ソーシャルワークのゼミだしねみたいな言い訳もありで、結局卒業(ゼミの先生が神で卒業させてくれた!)後は医療業界に進むことになりました(ゼミの先生が神で就職先も決めてくれた!社会福祉士も取れたwww)。

 

長々と自己陶酔話を書き連ねましたが、児童養護施設とはそんな経緯で接点があり、後ろめたさを感じながらいつも頭の片隅にありました。

 

で、今回のトモさんの言葉です。T.D.Tイズムです。

トモさんから言葉をもらった直後は、海外の貧しい地域に住んでいて、走りたいけどなかなか叶わない人がいるんじゃないかと思い身近な伝を頼りました。

現実はなかなかマッチしなかったのですが、そもそも自分の知らない世界だし、「誰のために寄付したいか」の「誰」の顔が想像できなかったんですよね。

(ご相談させていただいた方々、申し訳ありません。でもその時は本気でできないか考えていました)

さらに熟考を重ねて、思い出したのが児童養護施設で会った児童達でした。

経済的にランニンググッズを買うことができないかもしれないからドネーション

ということではなく、(貧困層の児童ばかりではありません)

寄付を通じて色んな人が応援してくれる、色んな人が全国にいる、世の中は広くて思ったより良い場所と思ってもらえるんじゃないかと思ったわけです。

ドネーションを通じて誰かがあなたに関心を持っている、あなたは孤独じゃないということを伝えいと思ったわけです。

児童養護施設キリスト教がベースにある法人が運営していることが多く、マザー・テレサの「愛の反対は無関心」という言葉に込められた思いを実践したかったのかもしれません。

(大学時代で唯一覚えているのがマザー・テレサのその言葉w)

 

というわけで、長々と書き連ねましたが、「なぜ児童養護施設なのか」はもりけんの一方的な思いに強引にお付き合いしていただくためということです。

 

マザー・テレサの言葉に込められた思いが実践できているかはわかりませんが(そもそもそれを求められてるのかも分からずホント一方的ではありますが)、

おかげさまでお届けした先には喜んでいただき、関わってくださった皆さんからも喜んでいただき、私の思い以上に素晴らしい展開が広がり続けていることを心から嬉しく思っています。

今となっては、私は皆さんのお気持ちを、たまたま近かったり伝があったりしているところにお届けしているだけ、それが「最高か!」と思うに至っています。

 

この場を借りて改めて、何度でも、関わってくださったすべての人に感謝申し上げます。

いつもありがとうございます。

 

※今回の記事をお読みになって不快な思いを抱く方がいらしたらごめんなさい。

ただ、嘘偽りなく、思ったことを正直に書きました。おかげさまで共感してくださる方もいらっしゃるので、ご不快に思われた方は「趣旨が違う」とご認識いただきスルーしていただけたら幸いです。何か実害があられたらその次第ではないので、その場合は速やかにお知らせいただきますようお願いいたします。